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『志村けん』さんの作品を振り返る ドリフターズから初の俳優出演『鉄道員(ぽっぽや)』

『志村けん』さんの作品を振り返る ドリフターズから初の俳優出演『鉄道員(ぽっぽや)』
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志村けんさんは、2020年3月29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎のため、東京都内の病院で死去した。70歳だった。20日に肺炎と診断されて都内の病院に入院し、23日に新型ウイルスが陽性と判明していた。

弟子入り、付き人、ドリフターズから冠番組へ

志村けんさんはドリフターズ弟子入りしようと、高校卒業間際にいかりや長介さんの家に押しかけた。門前払いされるも食い下がり、根性を買われて仮採用された。その後脱走しアルバイトなどをしていたが、加藤茶さんにいかりや長介さんへ口添へしてもらいもう一度弟子入りした。
1974年に荒井注さんが脱退し、正式にドリフのメンバーとなった。当時24歳。

「東村山音頭」でヒット

ドリフの正式メンバーとなるも2年ほどは人気が出なかった。

転機となったのは『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」を歌ったこと。志村けんさんは地元の「東村山音頭」にリメイクを施し、いかりや長介さんも3丁目を作詞作曲。これがヒットし毎回様々な衣装を作るなどして大いに視聴者を笑わせた。

自身の名前が付いた冠番組がスタート

1985年に『全員集合』が終了した後、1986年に『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』がスタートした。さらにその後に初の冠番組『志村けんの失礼しまぁーす!』、『志村けんのだいじょうぶだぁ』、『志村けんのバカ殿様』などで人気を博す。

『志村けんのバカ殿様』では現在では放送できないような“お色気ネタ”が顕著に見られたが、90年代後半から活発になって来た規制の影響を受け、露出は最低限に抑えられるようになった。
この番組の“お色気ネタ”が女性蔑視であると批判もされている。

初の俳優出演、映画『鉄道員(ぽっぽや)』

志村けんさんは一貫してコントやバラエティ以外のテレビ番組や映画で俳優として出演しないことを信条としていたが、自宅の留守番電話に高倉健直々の出演依頼のメッセージが残されていたため、「高倉の申し出があったのに出演しないとは言えなかった」と初めて俳優として出演する。

その後声優出演はあったが、映画やテレビドラマには一度も出演しなかった中、2020年12月に公開予定の映画「キネマの神様」にて俳優である菅田将暉とダブル主演を務めることが告知された。実に「鉄道員」以来約20年ぶりに映画出演を果たす予定だったが、新型コロナウイルスに感染したことで辞退を余儀なくされ、出演を果たせぬまま合併症の肺炎で死去した。

映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!(2014年)マスターニャーダ 役

2020年3月30日放送開始のNHK連続テレビ小説『エール』でテレビドラマに初出演する予定だった。収録シーンはそのまま放送予定。

亡くなる直前まで出演していたレギュラー番組

天才!志村どうぶつ園
志村でナイト

 

ご冥福をお祈りいたします。

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